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院長のコラム

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「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて入院手続きの間できる検査をして、ルート確保をする、ということでした。部屋に行く前検査室で針を刺されましたが、そこのナースがそんな新人というわけではないが一回目なんと失敗されました。おーーーー、はずすか、これで、この血管やで、(涙)がっくり、たのむで、なんかもうろうとする中そのナースは苦笑いをしなんやら言い訳してたっけ、あまり覚えはありません。二回目にルートを確保し、CT撮ったかな、覚えがありません。個室の部屋に移り横たわるのみです。とにかく痛いのをなんとかしてほしい、点滴で鎮痛剤を入れてくれと頼みますが、市民病院で効いたやつです、この病院にはないということでした。またもがっくりです、内服の鎮痛剤はあまり効かないんですよね。とにかく頭が死ぬほど痛い、悪心は嘔気止めでおさまっても食欲もなくほとんど食事は摂れませんでした。主治医の先生は、さっそく髄液検査をするというので来られました。ベッド上で腰椎から穿刺するということです。もちろん髄液を採取しなければ髄膜炎の診断はできないし、ウイルスも特定できないのですがなにぶんもちろん初めてのことですし恐怖で心配で大丈夫かいな、という感じです。先生は「大丈夫ですよ、すぐ終わります」と、承諾書やサインをする紙もなかったのでただの検査なんでしょうね。「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」しかしながら腰から脊椎に針をぶっ刺して髄液を抜くってことを想像するだけで震えます。「液を採取した後は髄膜が引っ張られいったん余計に頭がいたくなるかもしれません」これ以上痛くなる?そんなの死んでまうぞ、大丈夫かな・・・。と思いますが自分は患者さんに神経の入り口に麻酔しますね、だの顔面の骨に穴開けますね、だの震えられるようなことを平気で言ってますので、患者さんの気持ちがよくわかるってもんです。消毒後布をかけ先生は背中から、ぐぐぐっとやってます、もっと背中を丸めるように指示されます、麻酔も痛かったでしょうが穿刺も痛いような気がします。でも頭がもっと痛くてもうろうとしていたのであまり気にならなかったのでしょう。

その後すぐ検査結果を教えに来られまして、髄液内の細胞数が140 / ulぐらいと高い、定量ですのでそれが何かの特定は時間がかかります。正常値は、1ulあたり5個以下で単核球(リンパ球と単球)のみのはず、感染がなければ多核球は存在しないとのことですから細胞の種類によっては炎症、出血、腫瘍等が疑われるものです。ただ血液データでは白血球、CRPの炎症を示すものは高くありません。高熱もなく頸部硬直もなく細菌性のものは一応否定されています。帯状疱疹性と診断はないまま、即座に抗ウイルス剤が点滴より入れられました。血圧はやはりずっと高いまま、入院中は症状が良くなってからも高いのが続きました。

薬が入ったからといってすぐ頭痛がよくなるわけではないでしょうから、どうコントロールしてくれるか、これが地獄でした。点滴から入れる鎮痛剤はないので、ロキソニンの内服なのですが、ナースに痛いというと1錠持ってきます。効かないよね、普段の頭痛でも2錠飲むのに余計痛いのに1錠って。「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」効かないのでもう1錠くれというと、だめ、6時間だか空けると、なんやそれ、なんとかしてくれよ、2錠飲んだって効かないのに。泣きそうになり懇願するもカロナールならいいと、ガーン、効くかそんなもん・・・一応飲んで寝るのみ、ただ眠れません。きっと不機嫌で不愛想な患者だったでしょうね。食事を持ってきますが全く食べる気はしません。あとは入院中はずっと点滴をしっぱなしなので、とにかくトイレに頻繁に行かなくてはならず苦痛でした。頭は激痛、夜も眠れない、点滴引っ張りトイレ、なんとかしてくれー。途中で気づいたのですが、頭を動かすと余計激痛、特に頭皮の左半分に触れると痛い、そんな状態でした。

さてそんなんで入院生活が始まり、7月16日、日曜日、まああまり変わりばえはしません。ただ耐えるのみ、頭は激痛、鎮痛剤は効かず、眠れない、トイレ、食欲はなし。もうろうとしてテレビを見たり文字を追うなんてことは一切できない、厳しい状態。胸の疱疹もあまり広がることもなく痛くもありません。

7月17日、月曜日海の日で祝日、病院も休日体制です。特に検査もなく痛みもほぼ変わらず、微熱はある、先生は、どーですかー、と見に来てくださいますが良くならず。この日、寝ていても目眩がする、天井がぐるぐる回る感じです。食べるものはさっぱりしたものを何口か口にするのみ、どうなってしまうんだろ。

7月18日、火曜日、いくらかましに、ロキソニンがわずかに効いたか、その日造影のMRIを撮りに下の階へ、その他は横たわるのみ、あとは点滴で入れている薬が少しでも早く効いてくれるかというところです。本来はこの日から診療が始まっているところですがスタッフに頼んで予約はすべてキャンセルをしています。今週で退院できるだろうか、と不安でいっぱいでした。

7月19日水曜日、痛みはだいぶ良くなって久しぶりに普通の表情でいられたかなと思えるくらいでした。点滴のせいでトイレは苦痛ですが目眩もなく頭はたまにつんつんと痛くなるくらいでベッドも少し起き上がれるようにできました。食欲も少しずつ出て食べられるものも増えてきました。ようやく快方に向かっているのを実感できました。テレビを見たりメールをしたりもようやくできるようになったのです。胸の疱疹は少しうすくなりはしましたがかさぶたになったりはせずかゆくもなく、少し右背中の方に疱疹が少し出たようでそっちの方が気になりました。やはり帯状疱疹なのでしょう。ただ髄液の細胞の正体はまだわかりません。微熱はまだあったり血圧はやはり高いものの入院期間もちょうど折り返し、後半を迎えます。

7月20日木曜日、ようやく頭痛もほぼなくなりだるさもなく起きていられるようになりました。食欲も戻って来てなんでも食べられるようになりました。もう通常どおりです。2日前まではおそらく想像さえできなかったケンタッキーやなんかも無性に食べたいと思えるようになりました。熱はやはり微熱がありまだあまり無理はできません、といっても点滴でつながれているので部屋でぼーっとしてほぼ寝てるしかないのですがね。その日の担当ナースが静脈のルートを刺しかえるというので来まして、いやな予感がしたのは当然ですよね、痛いのはもういややー、さくっと入れてやーーー、と思っていたら、いてーーーー、一回目はずしやがりました。おーーーーー、必ず一発では決めてくれないのね、あなたたち(涙)。だいぶ退屈になってきました。スマホゲームしたりネット見たり音楽聞いたりと時間を過ごすのみです。極端な話1〜2時間置きにトイレに行かないといけないため昼も夜もほとんどぐっすりは眠れないので、それが一番辛いことになっていました。睡眠薬をもらいましたがあまり効果はありません。あとはお風呂、シャワー、もちろんできないためそれも辛かったです。頭がかゆくてね><

7月21日金曜日、この週も終わり、これほど長期に仕事を休んだのは初めてです。普段はもちろん感じることはないけど、いかに健康であることが大切か思い知らされました。もう頭は全く痛みなく鎮痛剤の服用も必要なく歩ける状態、点滴がなければちょっと外出したいな、というくらいです。今後の予定について主治医の先生より、造影MRIの結果も異常はなく今までたびたび起こっていた頭痛も特に心配ないよと、言っていただけました。そのたびにロキソニンを飲むのも、「ロキソ二ンでおさまるのならぜんぜんかまいませんよ」とのことでした。ウェイトトレに関しても血圧等の関連はないしどうぞやってください、と暖かいおことば、周囲からはそんなことやってるから頭痛くなったり血圧もあがるんや、と揶揄されてましたので一安心です。ただ「年のことを考えて、もうあまり激しい運動をやるのはいいことではありません。無理せず軽くがいいですよ。」と、がーーーーん、結構ぐさっとがっくりきました、せんせ、軽くなんてできやしませんよ、高重量を扱うことに生き甲斐を見いだしてますのでね、軽く、って。そんな、じゃ50歳超えてトライアスロンやるって人はどうすんの、と思ったりしましたが口には出さず、目が点になり動きを止めてしまった私です。さてそれで翌日土曜ですね、もう一度髄液を採取して、細胞数がよくなってれば退院、ということでした。またあれやるのかー、そうかー、そうだわな、でもし細胞数があまり変わってなければもう1週間点滴をやったほうがいいでしょう、とのこと。さらに目が点に・・・。これ以上はいけません、先生、もういやです、もうやめてください、もう痛くないし元気になりました、(子供か)それを考えると気がめいってもう早く外に出る、退院することしか考えてなかったので、そうなったらえらいこっちゃです。「どんなもんでしょう、いくつぐらいに・・・」「まあそうですね、140から目に見えて減ってこないとね・・・、まあ一桁とはいかないでしょうけどね」みたいな。もうこれは祈るしかありません。

7月22日土曜日、いよいよこれで入院1週間、薬は効果あったでしょうね。もう元気ですので髄液検査はかなりこたえました。入院時は頭が痛すぎてなんでもやってください、みたいな感じでしたが今回はもろに腰椎に神経が集中してましたからね。

「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」さていよいよ午前中のうちにやってくださるとのことで待っていました。
良くなっていれば退院は翌日日曜日と、薬は土曜日いっぱいまでやるという予定ですので。とにかく怖かったし痛かったー、麻酔もぐさっと、穿刺も痛い、ぐーーーーーーっと、痛い、お、麻酔したよね、いたーーーーーぐーーー、しむ、「もう少しですからねがんばってください」とせんせ、でもだいぶグリグリやってましたがね、入らないのかな?たのみますよ〜、ぐでー、参りました、放心です。うつぶせで1〜2時間じっとしてます。もうこれは二度とやりたくない検査ですね。ふーどうかなこれで結果がどうか、結果次第でもう1週間いなきゃいけないと、さらに地獄です。先生が来られました。1週間前の髄液からやはり帯状疱疹ウイルスのDNAが出ました、とやっぱり!1週間とだいぶ時間かかりましたね。先ほどの結果ですが、細胞数は70と、ん、まあまあ半減ですからいいですよね、せんせ。先生は申し訳なさそうに、「ほんとはもう1週間点滴したほうがいいと思いますけどね、」とええええええー、それはいけません、だめです、もう大丈夫です、本来は2週間抗ウイルス剤を使うというのが一般的ですがまあ、下がってきてるからいいですかね、と。まあ予定通り退院をお許し下さいました。ほっと一息、念のため明日朝まで最後の薬を入れてから点滴抜針とのことでした。次回の外来予約もして、退院が決まったので午後外出をお願いしておいたのが許可されました。静脈チューブはつけたまま、ヘパリンロックで手首に巻きつけてもらいました。久々の外です。いい天気で特に暑い時期でしたのでうだるような感じでした。まずは自分のクリニックへ向かいます。書類等取りに、あと水槽の魚、サンゴが心配でしたので、特にイエローヘッドジョーは大丈夫かな。特別面白い魚です。巣穴にもぐり、人の顔色をうかがい少し出ては引っ込み目をきょろきょろ、エサが入るときれいな青白いからだをみせてくれて食べると超高速で巣穴に戻ります。ほんとに笑わせてくれる愛らしい珍しい海水魚です。

「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」

ジョーたちもにょろにょろ出てきて元気なのを確認し、室内はかなり暑い、病み上がりで倒れるといけないので早めに出て自宅に向かいました。おー、久々の自宅、1週間ぶりのシャワーを浴び、ようやくさっぱり、夕方までくつろいでちょっとうとうとzzz さあ病院に戻りまた点滴再開です。
まあこれもあと1日、明日には抜けるわけですから。しかしやはり眠れません。トイレにいかなくてはいけないので眠れないのでしょうが、やはり病院というところはぐっすり、とは・・・なかなか、病気を治すところではありますが、気は休まらない、といったところであります。

「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎3」7月23日日曜日、いよいよ朝の薬を最後に抜針です。この解放感は何にも代えがたい、久々のものです。ようやく自由になった、そんな感じ。休日なので先生はお見えになりませんでした。退院後の内服薬も必要なしで頭もすっきり快調です。土曜日から翌日曜日まで9日間にわたり入院生活を味わい、退院となったわけです。お世話になった先生、ナースのみなさまありがとうごいざいました。地獄、と前述しましたが貴重な経験だったし、治る病気でまだよかったと思わなくてはいけません。ただちょっと心配なのはこれだけの期間動いてなかったわけですから、体力の低下もあるでしょう。当然くれぐれも無理をしないように徐々に復帰してください、とのことです。すぐ再発!ってのも怖いのでリハビリのつもりで少しずつ上げていくことにします!実際元のように動けるようになるまでやはり2週間ぐらいはかかったかなと思います。

以上、貴重な入院体験をだらだらと書きましたがいかがだったでしょうか。

2018-02-01 10:09:20

「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎2」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さあ髄膜炎の続きです。相変わらず月に数行しか進まないスローペースですいません。昨年末これではいかん、とちょっとスピードアップしました。
さて、7月の暑い時期は体調を崩しやすいものではあります。もともと水分をあまり摂らないたちなので熱中症や、血液どろどろのため脳梗塞やそういった疾患を恐れているわけで(ならそうならないようにしっかり予防しとけよ!)こういう声が聞こえてくるという感じであります。今回の恐ろしい事態は、7月の10日月曜日より起きたのです。前日の9日日曜日は所用にて遠方に車で出かけ確かに疲れたといえば疲れたのでしょうが、私はいつももっと疲れていますので大したことはなかったように思います。ちなみにその疲れ、からだのだるさということに関しては、私はずっと前からウエイトトレーニングをしており一年のうちで体調がすこぶるいい時というのは何日もありません。常に疲れてだるくてどこかしら痛いので、きっと病気になってもわからないのだと思っていました。

しかし7月10日朝頭が痛い、だいぶ痛いなという感じです。寝不足でも頭痛はきますし、顎は痛いし、片頭痛にはよくなります。まあ鎮痛剤ロキソニンはよく飲みます。あまりに片頭痛が多いので周囲からは一度脳ドックやれだの、MRI撮れだのよく言われていました。「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎2」なかなかその機会もないまま時間は過ぎていきました。この片頭痛はだいたいのところ顎関節症の筋痛だろうな、と自分では診断していたのであります。痛くて顎関節が動かないこともたまにありますので・・・。ただこの日やたらだるいし熱っぽいし頭痛はかなりがんがんときています。なんだよ、月曜から、ったく、ロキソニン飲みますがなんかすっきりしません。伏せてじっと目を閉じてないとけっこう辛い、そんな感じ、診療もやりたくないな、ただ寝ても痛みはよくはなりません。熱中症かな、熱は37度ちょっと、普段よりはだいぶ高い、気分もよくないし、前述したように水分をあまり摂らないほうなので軽い熱中症の症状かな、と。非常に暑い日が続いていたことも確かです。汗もあまりかいてないし脱水になっているとも考えられなかったですが、そこで早速水を飲んで飲んでお腹はたぷたぷに。ふー、なんやね、この痛みは、今日は水分を多めに摂ってよく眠って、一日みてみよう、と。

7月11日火曜日、変わりません。同じような頭痛が連日続くことは今までまずありませんでした。こりゃやべーな、脳疾患やな早く病院行って調べとけばよかったわ、と泣きそうになりめちゃだるくて頭はもうろうとして伏せっておりました。仕事にならないので上階のファミリークリニック(内科)に終わりがけに駆け込み相談しにいくと、院長は「先生、熱中症じゃないでしょ、高熱でもないし、熱中症なら冷やして寝てれば治りますから。脳外科行ったらどうですか。去年近くにできましたよ、」と勝川脳神経クリニックを教えてくれました。車で5分くらいかな、まあ近いですが夜はやってません。もう待てないので救急へ行ってCT撮ってもらおうと意を決して市民病院へ紹介状を書いてもらいました。「どうしますか、小牧でも春日井でも、先生は小牧の方がいいですよね。どうせ夜は研修医しかいませんけどね、」と。重大な疾患だと困るのでとにかく早く撮ってもらおうと、それしか考えられません。あとこの痛みはなんとかならないかなと、とにかく痛いので翌日もこんなんでは何もできないなと。そして以前の勤務先の小牧市民病院の救急外来へ行ったのです。手続きをして順番待ち、まあ予想通り待たされます。血圧を測って出た紙をお持ちください、と言われ自動血圧計に腕を通しますと、なんと180/120、!!何回か測りますがやはり高い、そりゃそうだわ、こんな痛けりゃね・・・。さて一時間くらい待ったでしょうか、夜10時くらいに診察室へ、案の定若い女医さんです。おーおー大丈夫かや、頼むで、と症状を説明、とにかく、だるい、頭が痛い、鎮痛剤はあまり効かない、脳疾患でしょうか?とにかくわらをもつかむ感じです。その研修医?かはわかりませんが女医さんはまあまあ態度はL(エル)な感じ貫禄をみせたいのでしょうか、ふんふんとパソコンにカルテ打ちしながら質問していました。熱は微熱ですね、昨日から、んーー、CTを撮りましょうか、とCTを撮りにいきました。そしてまた一時間くらい待って、その間やはり痛くてだるくてうなだれていました。まだかね、忘れてんのかいな、まだでしょうかと聞いてみますと、採血する場所へ、どうですか痛いですか?と、別の女医?ナース?そりゃ痛いっしょ、激痛ですで、なんとかしてくれよ、って感じで訴えると、では鎮痛剤を点滴で入れますとのこと、ベッドがいっぱいで座った状態で点滴、CTの結果は?と聞くと、え?まだでしたか、とその女医?ナース?区別がつかない人。最初診てくれたくれた女医が来て、ああすいません、みたいな、やはり忘れてたんかいな?おーーーーー、たのむて、CTは特に異常ないんです、と。特に重大な出血等ありませんでした、と。あそうですか、じゃなんですかね、この痛みは?と聞くと、きっぱりと「わかりません」と。はーーーーーーなんかこういう場合はこういうことが考えられるとか、こうかもしれませんとか、そういうのもないんですか、がっくり。予想はしてたけど救急外来とはそんなもの、明らかな異常がなければ痛いのはしょうがない、我慢して、「明日脳外科にかかってください」とその研修医!うんきっとそうでしょう。まあいちいち体は元気そうな、(今にも危険な状態でもない)人に細かく関わっていられないのでしょうね。点滴が終わるまでは座ってあまりにがっくりきているのを見てか察知してか、大丈夫ですか、とナース?の人、後でその研修医も言葉をかけてくれました。点滴後はだいぶ頭痛も軽くなり、ちょっと効いたなとほっとしたりしました。もう夜中も1時くらいでしたかね、そろそろ会計、さあ帰るかって時にふと胸の真ん中に違和感があり、見てみると昨日はなかった赤い丘疹があります。コイン大程のかゆくもないです。ん、なんだいつからだろ?とその時はあまり深く考えず帰りを急ぎました。

翌日7月12日水曜日、やはり頭痛は激しく体はだるくてどうしようもありません。自分の患者さんは予約入っていますので小牧市民病院には行けません。入っている予約をキャンセルして脳外科に行くかとも思いました。しかしCTで脳に異常がないというあの研修医の診断に少し安心したのか安静にしたら良くなるかもとなるべくじっとしていました。水分は多く摂り診療はほぼスタッフにまかせ動くのは最低限にしようと、鎮痛剤はあまり効かないけど飲むしかないので飲んで、翌日木曜は午後フリーだったこともありもう一日我慢しようという感じの日でした。胸の赤い湿疹は特に変化なく、こんなんできたことないな、帯状疱疹?とも思ったりしたけど痛くもかゆくもないしね、真ん中だし、帯状疱疹はやはり片側と思い込んでいたので頭痛と関連するかともちろんネット検索もしました。帯状疱疹、頭痛でも検索してウイルス性髄膜炎という可能性もあるけど、自分の症状と比べて胸の湿疹と関係あるのかな?確信するには至りません。市民病院は午前中に初診でかかるにはかなり早い時間から行かないといけないので、ファミリークリニックで教えてもらった脳神経クリニックにしようと思ったのです。そこはMRIのネット予約が初診でもできるので13日木曜の予約を試みると、午後はない、午前の最後は11時か、ま、とりあえず予約しとくしかないので予約、自分の患者さんのほうはキャンセルも含めてなんとかしようと、場所も近いし、とちょっと甘く考えていました。

7月13日木曜日、いよいよこりゃまずいな、頭は割れるように痛く、微熱は続きだるい、午前の診療はぎりぎりまでやって10時50分には出ました、が11時には間に合いませんでした。勝川脳神経クリニック、脳神経専門のクリニックです。お待ちの患者さんは多く、電話では伝えたのですが若干遅れたため待つことになりました。その間血圧を測るようにいわれここでも測定、やはり非常に高い!採血をし4~50分後、MRI室へ。MRI撮影し、また待合で待ちます。私も患者さんをいつも待たせていますので待つことになんの文句も言えません。市民病院でもそうですが、待たされる患者さんの気持ちをしっかりと理解しないといけません。さてしばらくの後患者さんも減ってきました。ようやく診察室に通されました。
症状を説明し院長先生の診察です。首を触診後MRIの説明、特に異常ありませんと。脳血管の異常はないし出血の所見もない、原因となるものは見当たらないというのです。それはそれで安心でした。頭のMRIをずっと撮ってもらいたいと思っていたわけですから。この痛みはどうなんでしょうね。一応胸の赤い湿疹も見せました。「火曜日に気づいたんですが、」見せるやいなや先生は。「あ帯状ほーし・・!」と口走っていました。がその後くちごもり「これは皮膚科の専門の先生にみてもらいましょう、紹介しますので」と。帯状疱疹であったとしてもやはりこの頭痛と関連していることは明言されませんでした。頭痛に関しては髄膜炎の可能性もあることを言っておられましたが細菌性ではないし無菌性であればあまり心配はない、ということでした。前述したとおり細菌性(化膿性)のものは非常に危険なものでそれが疑われれば即刻治療を開始しなければ命の危険もあるのですから。ただ先生は、群発性頭痛じゃないか、みたいなことを言われていましたので、やはり帯状疱疹との関連は疑いをもたれていなかったようです。群発性頭痛というのは、一次性の頭痛、それ以外の原因によるものではない頭痛です。あとは三叉神経痛とかも考えられます、と、先生、それは私の専門です(心の中で)・・・。「へー勝川で開業されてみえるんですねー、紹介するところは東海中央クリ・・・」「は?、せ、先生、そこは、近くの・・・」「ええ、うちは皮膚科へ紹介するときは近いしそこに診てもらっています」そこの先生は形成外科クリニックの李先生、私が研修医時代最初に赴任した(参考~道のりパート6)小牧市民病院でお世話になった李先生です。形成外科と口腔外科は隣接領域で常に治療を連携して行う必要のある診療科です。病院によっては仲が悪く疾患を取り合う間柄でありますが、名古屋大学の系列病院はもともと形成外科の教授が口腔外科と深い縁がある方だったこともあり関係は良好だったといえます。大学でも口腔のカルチの長い頸部廓清のオペの際は形成外科と合同で行い、再建をお願いするというのが一般的でした。小牧市民でも同様で形成外科と合同で行うことも結構ありました。おっと、~道のり、の一部になりそうな感じでしたが(汗)話を戻すと、李先生には当時、手術だけでなく、口腔外科の外来でも記憶に残っていることがあります。小牧市民は隣接地域に企業の工場がたくさんあり南米系の患者さんが多く来ていました。そのためスペイン語の通訳のお嬢さんが常駐していました。口腔外科の問診票もスペイン語編を用意していたぐらいです。ただやはり日本語をほとんど話せない方ばかりですので通訳の方を呼んで対処していました。そんな中たまに中国系の患者さんがみえると漢字を使って筆談のようにやり取りをするのですがなかなかうまくいきません。そんな時、中国出身の李先生に無理を言って来てもらい中国語で説明してもらっていました。「おーすごい、ぺらぺらやー」とつぶやいたものでした。(当たり前や)現在李先生とは小学校の学校医が同じということもありそこでお会いして久々お話しする機会もあるのですがクリニックに伺ったことはありません。院長先生に小牧の時に一緒で、という話をすると「え、ほんとですかっ!?」と言いつつ「大丈夫です、いつも助かっています・・・」と。李先生は形成外科の先生・・・、疑うわけではありませんが皮膚科専門の先生ではないので。でも行くしかありません。薬を処方されました、神経痛の薬、ビタミン剤、・・・あと微熱があるので抗生剤・・・意味ないですよね、と思いつつ、その日のうちに李先生のクリニックへ行くことにしました。とにかく最悪の脳疾患がなくほっとした、というもの以上に専門の脳神経クリニックへ行ってもこの頭痛について明快な解決が得られなかったことにがっくりしてしまいました。

夕方、紹介状を持って東海中央クリニックに行き李先生にお会いしてみると、「おーー、どうも、大変ですね、」と私のためにかなり時間を使ってくださいました。とにかくこの頭痛をなんとかしてほしいのですが、いかがでしょうか。「んー、髄膜炎の可能性あるねー」胸の丘疹を見て、「ゾスターではないねー、(Herpes zoster:帯状疱疹ウイルスです)単純のほうじゃないかな、(単純:Herpes simplex:単純疱疹)」と李先生。やはり胸の丘疹は頭痛と関連してるとは考えない、ということでした。でも「ウイルスの髄膜炎の可能性あるから明日の診療は患者さん全部キャンセルして安静にした方がいいよー。」と、まあ確かに診療どころではありません。ただ「明日は代診医に任せますので、」「あそう、じゃ先生は口だけ動かして体は動かさないほうがいいよ、僕も小牧にいる時髄膜炎になってねー、頭痛いのなんのって、鎮痛剤も効かないしすぐ脳外科行って病棟すぐ入院したよ、大変だたよ。」といまだに残る中国なまりで自身のご経験を話してくれました。1週間も入院されてたなんて知らなかったので、?ん?私が覚えていなかっただけ?かもしれませんが。その場で勝川脳神経の先生に電話で、髄膜炎の可能性を言ってくださり、追加のウイルス血液データのオーダーをしてくれました。髄膜炎である可能性が高まったかなー、とでもやはり胸の疱疹がジンプレックスとは思えず、なんかもやもやとしたものが残りました。ただ安静にしていれば治るのか、どこかへ入院しないといけないか、病状はよりひどくなっていくのでした。自分としては、頭痛、だるさは髄膜炎によるもの、胸の疱疹はやはりゾスターかな、ゾスターにしては痛くないしそれが頭に感染したとはあまり思えないといったところでしょうか。ただ今思えば、というところで、激しい頭痛に苦しんでいた時は不安、恐怖、どうしたらよい?いろんなことでそんなに冷静な分析などできるはずありません。

7月14日金曜日、そろそろ限界か、とにかくだるくて頭も痛くて伏せるしかありません。鎮痛剤もほとんど効きません。とその夜嘔吐してしまいました。前日、皮膚科に診てもらった後1週間ぐらいでまた診せてください、と言われていた脳神経の先生に相談するしかないな、翌朝早朝に連絡しようと。

7月15日土曜日、診療の予約はキャンセルしておいたので覚悟はできていました。早朝時間外でしたが院長は電話に出てくださり、病状を説明すると、大曾根にある救急の脳神経病院に連絡しておくと、言ってくださいました。院長も開業前その病院に勤務されていたそうですぐ診てもらえるように手はずを整えてくださいました。もちろん入院の準備をして自宅から大曾根の脳神経病院、大隈病院に向かったのでした。恥ずかしながらその病院のことはほとんど知らず不安でしたが行くと大きな病院でいわゆる脳神経専門病院です。「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎2」 診療開始時間とほぼ同時に到着しました。連絡してもらっていたのですぐ診てくれました。脳外科の先生、神経内科の先生、に診断してもらいました。神経内科の先生は「胸は帯状疱疹です、それによるウイルス性の髄膜炎です。まあ入院してください。最低1週間連続で抗ウイルス剤を点滴して安静にしましょう。」とまあ予想していた感じです、その先生が主治医になってくださいました。とにかくだるいのと気持ち悪いのと頭が痛いのを早くなんとかしてほしい、それだけです。そこから地獄の入院生活が始まったわけです。

入院篇はまた次回!

 

2018-01-12 10:12:31

「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎1」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

 さて前回のコラムからまたまただいぶ時間が過ぎ2017年に入り夏もそろそろ終わり秋の気配がしてきました。早いものです。今年もいろいろなことがあり、あまりゆっくりとしていられない日々でした(診療はたいしたことはないのですが)。
前回のコラムで同期のばかもの集団をイメージしたイラストがことのほか好評で、こいつは劉先生、平松か?これはバカっぽいから・・・これは?カバ・・・人間じゃない!!木村だ!このアジア系っぽいのはテーラーかっ、と勝手に想像していただきありがとうございます。
話を戻すと、時間に追われてなかなかコラムなぞ執筆する気にもなれず気づいたらもう、という感じでしょうか。「開院への道のり」はちょっと置いといて(これが進むのをお待ちの方も少しおみえになります、ごめんなさい)
というのもこの夏最大の事件はなんと、私が病気になり入院してしまったのです。開院後初めてとなる長期休診を余儀なくされました。9日間の入院、もちろんから体は極めて頑丈そうで病気なぞまずしないだろうと思われているかもしれません。これだけ入院したのももちろん初めてでした。

 タイトルにあるように、このいまいましい疾患にかかってしまったのです。髄膜炎というと非常に危険というイメージがあります。細菌性のものは進行が速く症状が出てから翌日には死んでしまうということもあるように致死率が高い疾患です。今回の場合はウイルス性ということもあり安心ということでした。しかし、症状は激烈で今まで経験したことのない頭痛で、いったい頭の中が「どうなっちまった~」と不安と恐怖とでいっぱいでした。加えて微熱、倦怠、嘔吐、で仕事どころではなく、専門の先生方でも診断に苦慮されたこともあり入院までの1週間も苦しんでしまったということです。たいていの方は帯状疱疹ウイルスは体内に持っているわけです。免疫力が落ちた時にばっと帯状疱疹が出る、ということはよく知られたことです。私も一度学生のとき左脇腹あたりに帯状疱疹が出てかなりの期間痛かった記憶があります。動くと激痛みたいな、神経痛様の痛みですね。ただいつ起こるかといってもわかるものではなく、今までももっと疲れて抵抗力がなくなって、ということは山ほどあったのになんで、という感じでしょうか。では経過をみていきましょう。少し長くなりましたのでまた次回に!!

2017-09-19 17:13:00

「続開院までの道のり  パート9」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて、開院までの道のり、シリーズですが、20年以上前のことを思い出そうとするのもけっこう大変です。今までは1年目のフレッシュ時代(いわゆるウンテン)のことを書いてますが、印象に強く残っていることを少々脚色してコラムにしてきました。実際そのころのことをイメージすると、いろんなできごとやいろんな人が思い浮かびます、がどれも断片的でどうつながるだろう・・・などと考え込んでしまいます。前にも触れたように小牧市民病院への赴任が1年目の10月からで実際は2年ちょっと小牧にいたわけですがその後帰局し、なんと晴れてミッテンとしてフレッシュの指導にも当たるという立場になるわけです。そのミッテンの時代とウンテンの時代とのことがどっちだったか?とわからなくなることがあるのです。コラムとしては、何もできないフレッシュマンの方がおもしろく失敗談として書きやすいのですが、「道のり」なので少しは進んでいかないといけません。

ちなみにですが、このコラムを全く面識のない東京の同業者が読み、その知り合いの以前名古屋にいた関東在住の先生に「この人(私です)知ってる?」と知らせたそうです。その先生は初めてこのコラムを読んでみたそうであまりに面白くてこの前の学会で会い、ブログ見たよーと感想を言ってました。(口腔外科学会総会学術大会参加レポート参照)。たまたまご覧になる方も各地にみえるということで、驚いている次第です。
前置きがいつも長く申し訳ありません。でも今回は何を書こうかまだ決めてないので考えながら進行します。

前にも書いた通り私たちフレッシュはなにもできないバカ者でした。先生方からはおいフレッシュ、ほらフレッシュ、なにしとるんだ!といつも叱責され情けなくなることもあります。でも本当にできないし知らないのだから仕方ありません。いろんな事を経験し勉強しなければいけません。早く一人前になりたいと思っていました。

「続開院までの道のり  パート9」

例えばある時、当時の研究グループで有病者グループというのがありまして、伊藤正夫助手(現開業)がグループ長でしたが、早朝診療1時間ほど前から週何回かフレッシュのために有病者の「勉強会」を開いていただきました。確か強制ではなかったようでしたが、なんも知らない、何を勉強していいかわからないような「ひよっこ」にとっては当然出ろよと医局長から言われていた気がします。ただ朝早いのと内容が有病者についての難解な論文?かなんかを読む抄読会のようだったでしょうか。次第に来ないやつがいたり、朝早いので居眠りしたりと、とんでもないやつらです。せっかくわざわざ伊藤助手が私たちのためを思って開いて下さった勉強会なのに、私たちフレッシュはバカ者です。でも伊藤助手は出席者が少なくても涼しい穏やかな感じでいつもやってくれました、なんと優しい先生なんでしょう。と思っていたのですがもともと伊藤先生はめちゃくちゃ厳しくて怖くてグループのメンバーが研究の成果をあげられないと医局で他の先生方もみえる中大声で怒鳴って叱責するような方だったそうです。それが当時の江幡医局長の前に医局長をやられた時、あまりの激務のせいで人が変わってしまったのだよ、あぽーって、とどなたかに教えてもらいました 。

また例えば、ある入院中の舌カルチの患者さんの担当のウンテンである私はある時、舌の潰瘍部分に当たる歯を削ってしまって全く当たらないようにする、という処置をやるように言われ、外来に患者さんを連れてきました。そして、当然抜髄処置をするわけです、根管治療ですね。たしか下顎6番か7番だったか、ただろくに歯の治療など特に抜髄などしたことないわけです。学生時代の後期はインストラクターに見てもらいながら担当の患者さんを受け持ち根管治療どんだけ、インレー形成どんだけ抜歯どんだけ、などと臨床実習はやってきてはいますが、いきなり最初から抜髄!!はきついですぞ。オーベンの林先生は、いいから大丈夫だ、みたいなやってみい、みたいな雰囲気を醸し出してますので。ええい、やったれ、みたいな感じで始めた記憶があります。麻酔はしますね、削れますね、ふんふん、歯髄腔までバーを穿通させ広げて、と。今でこそ偉そうに根治してますが、びびって震えながら。ん?歯髄は生きてますから血は出ますね、もうちょっと広げて根管口を明示するかと、ん、まだかな、根管口はどこかな、と思い切って削っていきます。と少しバーがズボッといって出血がけっこうばーーーっとありました。

「続開院までの道のり  パート9」

こ、こここれは!?しまったあ、パフォたかーー(パフォる、というのはパーフォレーション、すなわち根管外に穴をあけてしまうこと)この時髄床底といって根の分岐部を通じて歯槽骨側に穴をあけてしまったのだと真っ青になってしまい、林先生にこれは助けを求めるしかないと林先生を呼び、「先生、パフォってまいましたっ、くぅぅぅ〜」 と林助手は、またもクールに、ちぇっ、っといいながら険しい表情でその歯をみますと、ばかにしたように、なんだパフォっとらんぞ、大丈夫だと。「パフォってないですか??ほんとですかっ林先生!!」とほっとしつつも、じゃありゃなんだと、冷静にみますと、まだ全然、髄腔に達したぐらいでそれが歯髄だとわかりました次第です。林先生からは、もっと広げてその歯髄を除去するんや、と。ほんとフレッシュは大バカ者です。

 

さてそんな大バカ者フレッシュ軍団も「はあーー」と医局に帰ってくると出迎えてくれる方たちがいます。先生、先生とバカ者たちを勘違いさせてくれる人たち、それがプロパーと呼ばれていた各製薬会社の人でした。プロパーは朝、昼、夕方と医局に出現しずらりと10人以上いたかなー。当時はホントにいい時代でした。今はとてもそんなことはないようですが、バブル全盛期、どこの診療科でもプロパーは暗躍していました。なんでも相談に乗ってくれ、特にこれこれの論文探してと言えばすぐコピーし持って来てくれましたし、パシリとしてなんでも頼めばやってくれる、なんでも持って来てくれるいわゆるなんでも屋さんなのでした。医局会である薬の説明会があるとなると高級弁当が用意されたし、なんかの勉強会といえばなんでも用意してくれました。もちろん手伝ってくれたプロパーの会社の薬を優先して使わなければいけないわけでそのために各プロパーも必死です。やはりそういった資金が豊富な大手はいろんな策を使うのです。先生先生と持ち上げてくるのでどうしてもフレッシュのバカ者もいい気になってしまいます。記憶にあるのはS社のフル○○○、T社のパン○○○○、をよく出してました。フレッシュのバカ者にもすりよってくるのは、病棟で出す抗生剤の点滴は、言ってみれば手術後の感染予防が主で、なんでもよかったわけでその抗生剤を病棟の指示書に書くのは私たちウンテンでした。今週はフルマリン週間、とかいってこの人も、この人もじゃフルマリン、用意されていた抗生剤点滴がほとんどフルマリンだったり(汗)  S社の大谷さんは私たちフレッシュバカ者集団を超高級和食肉屋に連れていってくれたり、飲み屋に連れて行ったりしてもてなしてくれましたので当然です。ある時、病棟で宇佐美助手(現名古屋医療センター)が、おい君、なんかフルマリンばっかりやな、と疑問を投げかけてきました時には少しドキッとしましたが、そ、そうですかね・・・としらを切ったり・・・。パンスポリン注射も好きな薬でしたね。T社の藤沢さんにはいろいろと大変お世話になりました。退院後外来でまた抗生剤内服を出す時はパンスポリンTを処方し、ゴールデン処方と呼んでおりました。「先生、今週は名大パンスポリンT 〜千錠でした、先生の集中ゴールデンのおかげです!」そんなわけないでしょ、でもいい気分にしてくれるのです。ほんとバカ者ですね><  信じられないほどたくさん錦に連れていってもらいましたし、面白い事がたくさんありました。ここでは夜の課外活動は書ける場所ではないので割愛しますが、いずれ書いてしまうかもしれません。 今回は以上です。なんかちょっと道がはずれてきましたか?いえいえそんなことはありません。バカ者も一人前になるために一生懸命です。

2016-12-16 13:53:26

「第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

さて、2016年も残り少なくなってきました。
毎年口腔外科学会総会が秋に開催されます。だいたい10月に行われるのが普通ですが、今年は少し遅めの11月末でした。11月25日(金)~27日(日)まで3日間行ってきました。最近は関東地区で行われる場合はたいてい千葉の幕張メッセです。25日金曜日早朝名古屋を出てなんとか9時半前には到着です。東京は1年ぶりくらいかーーー、富士山は雲一つなくきれいに見え、雪もかぶっていました。

 

学会会場はすでに多くの人があふれ各会場に様々なシンポジウム、講演、口演発表、ポスター発表、レクチャー、が用意されています。去年は参加人数が初の4000人超えといわれていたので今年もおそらくそれに近い人数と思われます。私はこの学会の専門医ですのでその更新のために総会にはまず必ず出席しなければなりません。あと各種レクチャーを受講し所定の単位を得なければいけません。
今年は3つのミニレクチャーを受講しました。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート
第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

まあ面白そうな題材を選択しますが、うーーん、今いちっていうのも正直あります。今回はまあまあためになりました。各会場にいろいろな講演があるので抄録集をみながら興味ありそうなところへ移動します。まあ疲れます。どこに行こうが、ホールで旧友としゃべろうが、出て行って観光しようが自由なので何を目的に学会に来るのか難しい問題です。発表や論文執筆が半ば義務づけられている大学在籍人以外は、まず点数稼ぎ、という面があるのは否定できません。実際自分に合った内容は多くないので、それを見たらもうロビー活動が主になりますね。ただ1年に1回、いや何年に1回しか会えない先生方にお会いできる機会なのでそれはそれで非常に大切な事なのですが。昼はランチョンセミナーがいくつか用意されていて、たいていの人はそれに行きます。弁当つきなので食べながら聴けるのです、(聴かないかもしれません)。昼食もそれで済ませられるのですから。食べるだけの人もいます。
細かく書くと際限がないので大雑把にいきます。写真はあまり撮る機会はなくいい場面はないのですが思いついた時に撮りました。勝手に人物を撮るのは問題なので風景として撮ります。

 

幕張メッセは海に面しています。夕日はこのうえなくきれいでした。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

ホテルからは天気がよかったので富士山も見えました、舞浜の遊園地や対岸のスカイツリーも見えました。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

さて久しぶりに会った関東の病院にいる先生に、最近のブログ見ましたよ、笑ったわー、あれすごいわ、やばくないですか、と感想をいわれて(続恐怖のオペ・・・)で盛りあがり、説明させられました。(けっこうみとるな)(ブログじゃないし)(コラムだろ)いろいろ思いながら、また楽しみにしてますよーみたいな感じで言われてしまいました。まあ一般の他職種の方例えば車屋さんとかからも感想を言われます。続きを早く書けだの、執筆の締め切りに追われる気分に少しなります。
その続きはありますのでまた書きます。こんな学会の珍報告ではだめなんですねきっと。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

土曜日はミニレクチャーのない時間帯にはポスターセッションをやっているどでかいホールに行ったりし時間をつぶしまたどこかの会場に入って出てを繰り返し、夕方どでかいホールの端で新潟の日本酒試飲会をやっていましたので人がたくさん集まってきていました。何十もの銘柄が味見し放題みたいな。ポスターもまだ発表してましたが年配の偉い先生の皆さん中心にけっこう飲んでました。私もちょっと飲みました、つまみも置いてありましたので。けっこうおいしかったですよ。だいぶ周りも騒がしかったのは新潟の観光大使?という女性が酒をついでましたので、オヤジどもが話しかけたり握手したり、写真撮ったりと、何しにきてんねん・・・。で私の尊敬する先輩である現在埼玉にいる野村先生も写真撮れと言われまして、私のスマホで写真を撮って先生にラインで送りました(なんでやねん・・・)。

 

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

ちなみに大学の先輩である野村先生は、口腔外科の助手をやった後アメリカに留学しその後医学部に入り直し耳鼻科の医者になりダブルライセンスを取られた貴重な先生です。口腔外科をやるためにダブルとなられたという点で素晴らしいのです。
またちなみにクリーブランドの大学病院口腔外科に留学されてた時私を呼んでくれまして、先生の家に泊めてくれて病院の見学もできたしオペ室にも入らせて担当教授のオペも見学できました。貴重な体験をさせていただきました。
話はだいぶそれました。この日の夕日もきれいで写真ではあまりはっきりしませんが水平線の上にきれいな光線がさしています。

 

夜は後輩と飲みにいきまして、さすがにダウンした次第です。
日曜はまたまたさすがに足が重く11時ころぼーーと徘徊し、ランチョンだけはしっかり参加し午後すぐ会場をあとにしたのです。
このように最新のトピックスに触れられる大変有意義な?学会でした。毎年数々の学会がありますが、分化会や地方会にはたまに行けてもなかなか開業医としては時間がとれず診療を休んででも行くというのは1年に1回と決めています。毎年この時期に週末休診になりますのでご理解いただきたいと思います。
来年は京都です。またすぐにその時期になります。

2016-12-06 15:46:41

「続恐怖のオペ!! ~続開院までの道のり パート8」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

21期同窓会

さて、久々の「恐怖シリーズ」復活です。実に4年以上ぶり、続新コラムといいましょうか、開院までの道のり、パート?ん、恐怖の…が7ですから「続開院までの道のり パート8」としましょう。もともと断片的な記憶をつなげておもしろおかしくして書いていますので「真実」とは言えません。
もし前回までの「道のり」をごらんになりたければバックナンバーをお読み下さい。実はこの原稿、なんと4年以上前に書いてパソコンに保存していました。最後まで書くのが面倒になり途中やりで放置していたわけです、と言いたいところですが内容が書きにくい出来事だったし衝撃的だったので筆が進まなかったということもあります。ただお蔵入りにするのもなんだし、いまだに「続編はまだか」と言うお声をいただいていることもあり完成させることにしました。その年月がたっていることを想像してお読み下さい。

今年(2011年)もあとわずか、月並みですが早いものです。当クリニックができてもう7年が経過しました。日々悩みの連続です。口腔外科の門を叩いて20年、当時の悩みとは別物ですがいつまでたっても自分に満足することなどありません。時代は変わり5年もたてば新しい治療法、考え方また新しい器械が登場します。自分の根本的なベースを信じ、常に時代の流れをよく見極めなるべく良いものを取り入れていきたいと思っています。
さて20年前にまた戻りましょう。前回のコラムでも触れたように、金田教授の手術はとにかく恐怖の時間でした。もちろん教授の担当でもご自分で全てを執刀されるわけではありません。ですのでわれわれフレッシュマンであるウンテンは、教授のオペに入れるだけでも本当はラッキーなのです。しかし当時はあまりそう思えませんでした。カルチノーマのオペ、以前書きました頸部郭清術などに入るとなればやはり緊張と憂鬱とがありましたが、それと似た恐怖のようなものを感じていました。しかし今回の恐怖の出来事は、先程の恐怖とはちょっと違うものです。間違いなく一生に一度の経験、他の誰でもめったに経験できないようなことです。これについてコラムでご紹介するかどうか悩みました。患者さんの名誉、執刀医の名誉等色々と考え、患者さんが特定されることはないでしょう、執刀医は当時の最高指導者であります、手術は大変難しいものでありました、20年以上が経過しています、これらは間違いのないものです。時効ということも言えますし本当にこんなこともあるんだと衝撃を受けたので記すことにしました。
さて前置きが長くなってしまいました。患者さんは舌のカルチノーマで頸部リンパ節転移の明らかな方です。手術を繰り返しているため頸部の瘢痕が著明でした。舌下神経のダメージもあり舌も動かず気管切開も既にしてありました。手術は反対側の転移したリンパ節郭清だったように思います。この方はご家族含め色々な問題があり、詳細は省きますが、担当医も特別気を使わなくてはいけませんでした。
細かい事は忘れました、何を目的にした手術だったのか、なんで手術をしたんでしょうね??手術側も瘢痕でカチカチ、おそらく頸部廓清をされた後だったのでしょうか、以前に全頸部廓清をやっていたら手術やることはないはずですから。部分廓清である上頸部廓清後だったのかもしれません。

さあそんなことはいいです、手術は全身麻酔後、金田教授、林助手(現第二日赤口腔外科部長)、私、と所定の位置につき(もしかしてもう一人いたかも?いたとしたら青木先生かな、記憶にない、すいません青木医員)私はただ教授が頸部を切って廓清していくのをど緊張しながら、泣きそうになりながら見守り、筋鈎をひき、そこの組織は全くなにがなんだかわからない部位をすすんでいきました。硬い瘢痕を切り開く感じで教授もやりにくそうでした。ただ結構大胆に大きなクーパー(はさみです)でガシガシ切っておられたようでした。
解剖学的には、だいたいその辺りに何々筋、何々神経というのがあるはずなんだが、という感じで見ていました、そこでふと林先生を見るとなんと、あのクールな林助手が、どんなことが起きても動じない林助手が、なんと泣きそうな顔で目が血走り、切り開かれていく頸部を「あーー、あっ、あっ、先生、あ~~~あ」と声にならない声でつぶやいておられるではないか!!んーこれはどんな感じか、いかん感じか!?術者は教授ですぞ、林せんせー!!と思うが先か後か、なんと!どーーーーーんと血が天井に届いて吹き上がりました!!天井どころか周囲にすごい勢いで出血です、教授の顔にも血が飛び散りメガネも血で見えなくなっていました。林先生も私も大慌てで押さえました、これは、これは!もしや、Carotis Communis (総頸動脈)かあー、林先生も「カロティスいったな、あまり押さえすぎるな、やべー」やべーと言ったかは覚えありませんが、そんな感じでした。と同時に血圧が一気にどーーーんと下がり(当然です)確か記憶では高めだった血圧が、40/20 ぐらいになったような、ほぼショック状態、麻酔医も大慌て、当日麻酔研修中だった新美医員(現中日病院部長)が大声で「木村先生呼んでえーーー血圧が、下がったーうーんと下がった!!」とインストラクターの麻酔科医を呼ぶ声ははっきり今でも覚えています。林先生はさすがにあせって止血を試みますが周囲組織は不明瞭でどこが出血点かわかりません。
破れた血管を探して縫わないと・・・どうしたら。と教授はなんと落ち着き払っているでは!?「ちょっときみいーー、メガネ拭いてくんない?」と介助ナースに。おーーーすごい教授!!さすが全く動じません。「林くーん、早く止めてよ」と。おーーーーーすごい!林先生を超超信頼しているのですね ><私たちはもう泣きそうになりながら止血を試みました。その時林先生が私だけに聞こえるように言った言葉は今でも決して忘れません。「おー、死んでまうぞ」と押さえながら…
それからは記憶があまりなくなっていまして、あまりにショックでか?少しずつ縫って縫って止血し、麻酔の先生も救急処置をされて血は止まった!!ことは確かです。
その後どんな手術をしたのか、何時間かかったかも定かではなく、でももちなおしてよかった!!と。あとは林先生もぐったり、どうなることかと思いましたね。その後のこともほとんど覚えていません、教授とのやりとりも、どうしてカロティスが傷ついたのかも、あまりに衝撃的で貴重な体験でしたのでもうどうでもよくなったのでしょうか。ただあの大出血が起きた時前後のことだけ記憶がはっきりしていたので書きました。
頸部の大血管から大出血する瞬間に立ち会う事などまずありえません。本当にすごい経験でした。本来はこのようにおもしろくおかしく書くことはだめです。これだけははっきりしています。単にフレッシュの時代にこんなことがありました、というだけです。道は続きます。

2016-08-17 11:19:00

「第21期生同窓会」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

  21期同窓会
二次会にて

 

さて久々の投稿です。
2016年も半分が過ぎ、暑い日が続きます。そんな中7月、母校である新潟大学の第21期生同窓会があり新潟へ一泊で行ってまいりました。友人、先輩は学会等でたびたび会う機会もありますが同級生全員が集まるというのは初めてということもあり楽しみにしていました。
当時は1学年80名で、同期卒業生は何名か忘れましたが、大部分は私も含め県外、自分の地元へ帰り生活しており、当日集まったのは約半数でありました。 顔を合わせたのは本当に久々、25年ぶりという人たちがたくさんいました。懐かしいの一言です。みんな元気でやっていました。卒業以来初めて会う人たちの記憶は外見も含めそこで止まっています。意外にほとんど変わっていない人、だいぶ変貌を遂げた人様々、無理もありません、卒業以来、ほとんどの人は卒業時の年齢分歯科の世界で頑張っているわけですから。元気で若いと思っても皆50歳を超えてきました。

今回来られなかった人の中には元気でない人も病気で体調が悪い人もいたでしょう。
もちろん若くして亡くなられた方も数名みえますので、残念ながら学生時代のように今後全員が顔を合わせることができないのです。それは非常にさびしく思います。

会は、夕方市内の料亭で行われ同じ歯科医として違う立場の世界について色々情報交換でき、ただ懐かしいというだけでなく有意義な会でありました。酔っぱらって騒いで学生時代を思い出し、当時と何も変わっていないような感じになりました。二次会もありましたが、やはり時間や場所も限定されある人とは話足りないということもありました。それぞれができる限りの交流を深めた一夜でした。
はめをはずした人たちもいましたが、私はそんなこともなく仲良しな人たちとさらに飲み、店を出たら3時でした。あー起きれるかな、宿泊先の日航ホテルに帰りzzz、昼過ぎ少し買い物、挨拶まわりをし飛行機に飛び乗り帰ってきました。

2016-08-15 16:12:00

「デンタルショー」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久


2月22日、毎年この時期に行われる中部日本デンタルショーに行ってきました。

開院からずっと携わってくれている業者のH氏、毎回めぼしいものを案内してくれます。三時までに来てくれないともういないですよ、なんて言われていたので雨もようの感じなのもあり早めに12時ころ吹上ホールに着きました。その前から電話してるのですが、出ません。ん、つながらない、メールも何度もしました、返事ありません。なんだ、忙しいかな、もう入るか…。入場し登録してしまいました。

すごいたくさんの人、人、そりゃそうか、どこから見るか、見たい物を探すのも一苦労です。H氏どこや~。まだ返事ない。自分で見るしかないか、と方々歩いてよさげなところに入り試します。

とことこ歩いてそこあそこに知り合いが、しばし談笑、また移動、おーーー、前うちにいた衛生士ども!またしばし談笑、頑張ってんのか…どうせまたそのうちやめるんだろ、まだか…。

今度は以前病院で一緒に働いた関東在住のフリーの衛生士、あるメーカーの商品紹介でそのブースでしゃべるらしい。もう全国を渡り歩いて講演やら、講習をやったりしてるらしい、すごいな、有名人やーー。当時20年も前は何にもしないただの酔っぱらいだったのに…。しばし話し込み、刺激を受けます。まあこんなもんかなーともう3時前、もう行かないと、ちょっと興味をひいたものはこんな感じです。一部カタログも。

さて会場をあとにし車で走り去るも、H氏から電話、遅くなりました、って何してんの、もう出たわ、んん何、豊田で急遽器械の取り付け、だと~、なんじゃそりゃー、って感じのデンタルショーでした。

2015-03-17 12:35:00

「処置後の偶発症」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

こちらはデンタルクリニック、しかも口腔外科専門を掲げるクリニック、毎日親知らずの抜歯を行います。もう20年以上やり続けています。ちょっとやそっとじゃ驚いたりしません。横向きの親知らずでも数分で抜けるものもあれば、たまに1時間もかかることも。歯が深い位置にあったり、根が曲がっていたり、下顎管に引っかかっていたり誰がやっても大変なものは大変。まあ抜歯自体は自分で言うのもなんですが、うまいしきれいにスマートにやってます。まあ当然ですが、修羅場をくぐり抜けてきてますから。

さて本題です、最近のできごと。抜歯後、または抜歯中気分が悪くなったりすることはもちろんたまにあります。たいていは緊張、恐怖による精神的なもので、終わったあとチェアを起こし座位になった時、立とうとした時に脳貧血発作を起こし気分が悪くなるのです。今回驚いたことは、1週間たたないうちに立て続けに同じようなcaseを経験したのです。

まず1月末、60歳台女性、局所麻酔し処置後立ち上がり待合室に行かれ、すぐ気分が悪くなったとの訴えで、チェアに逆戻り、顔色は真っ青、脳貧血によるものと判断しチェアを倒し頭を下げつつ、手首を持ち脈をみます。嘔気を訴え、吐きそうな感じですので、嘔吐物が気道を塞ぐのを防ぐために横を向かせ膿ボンを当てます。血圧計を巻き連続測定、80/40か、低めですね。血圧は普段130-140/70、間もなく嘔吐も収まり血圧も上がってきました。深呼吸をさせ改善しました。

その約1週間後、20歳台女性、局所麻酔後親知らず抜歯しチェアを戻し起こしたら間もなく気分不快の訴え、やはり貧血の疑い、チェアを再び倒そうとすると、ややパニック気味、どうしよう!どうしよう!とばたつき呼吸が早くなってきました。過換気気味です、こちらも嘔吐をするようなそぶり、脈をはかりつつ頭を下げ、横を向かせゆっくり深呼吸を促します。血圧を連続測定、80/30、もともと血圧は低めとのこと、呼吸は落ち着いてきています、深呼吸を促します。嘔吐は落ち着いてきましたが血圧はやはり同じような値、ここでもうルート確保しました。ベース液を点滴し経過をみます。間もなく血圧も100/60前後に。過緊張のせいもあり脱水気味でした。血管から水分が補給され改善に至りました。

こういう不測の事態は今後も起こりえます。注意する事はこちらサイドが慌てず容態をよく観察すること、しかしすぐさまバイタルサインの確認をしつつ話しかけながら患者さんを安心させつつ気道を確保すること、口腔の処置をしているわけだから、唾液や血液のかたまり、ガーゼなどに注意をする、血圧計を装着し静脈路確保まではすぐできるはずです。その後、より状態が悪化するようなことがあっても側管から薬剤を入れられます。また内科医をコールしたり、救急車を要請したりという必要があればすぐさま対応しないといけません。その判断を迅速に行う必要があります。常にそのシュミレーションをしています。

2015-02-23 12:34:00

「新年あいさつ」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて、当クリニックも2015年を無事迎え9年が経過致しました。早いもので10年目に突入です。「院長のコラム」とかいうコーナーでたまに原稿をアップしていましたが、無類の筆無精を自負する私はなかなか新しいネタ(といっても、卒後すぐの昔の話ですけど)を皆さんにお知らせすることができず、ずるずると時間ばかり過ぎる始末です。見てくれている方が多少なりともいらっしゃるのに申し訳ない気持ちでしたがいかんせん、日常に忙殺され手が回らないといった言い訳をしてしまいます。そこでこのほとんど動かないコーナーを、なんと「院長のつぶやき」と一新しあまり気負わない内容、気軽な長さでも更新してしまう、というものに変えようかと思います。SNSもほとんどしない私は、文章をアップするとか投稿するとかが苦手な性格のため、他の人からコメントを受け取っても気の利いたやり取りが下手でして、この「つぶやき」で起こった出来事や気持ちを多少なりともお届けできればと思っております。ぜひご一読ください。

2015-01-20 12:33:00

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