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「帯状疱疹ウイルス性髄膜脳炎1」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

 さて前回のコラムからまたまただいぶ時間が過ぎ2017年に入り夏もそろそろ終わり秋の気配がしてきました。早いものです。今年もいろいろなことがあり、あまりゆっくりとしていられない日々でした(診療はたいしたことはないのですが)。
前回のコラムで同期のばかもの集団をイメージしたイラストがことのほか好評で、こいつは劉先生、平松か?これはバカっぽいから・・・これは?カバ・・・人間じゃない!!木村だ!このアジア系っぽいのはテーラーかっ、と勝手に想像していただきありがとうございます。
話を戻すと、時間に追われてなかなかコラムなぞ執筆する気にもなれず気づいたらもう、という感じでしょうか。「開院への道のり」はちょっと置いといて(これが進むのをお待ちの方も少しおみえになります、ごめんなさい)
というのもこの夏最大の事件はなんと、私が病気になり入院してしまったのです。開院後初めてとなる長期休診を余儀なくされました。9日間の入院、もちろんから体は極めて頑丈そうで病気なぞまずしないだろうと思われているかもしれません。これだけ入院したのももちろん初めてでした。

 タイトルにあるように、このいまいましい疾患にかかってしまったのです。髄膜炎というと非常に危険というイメージがあります。細菌性のものは進行が速く症状が出てから翌日には死んでしまうということもあるように致死率が高い疾患です。今回の場合はウイルス性ということもあり安心ということでした。しかし、症状は激烈で今まで経験したことのない頭痛で、いったい頭の中が「どうなっちまった~」と不安と恐怖とでいっぱいでした。加えて微熱、倦怠、嘔吐、で仕事どころではなく、専門の先生方でも診断に苦慮されたこともあり入院までの1週間も苦しんでしまったということです。たいていの方は帯状疱疹ウイルスは体内に持っているわけです。免疫力が落ちた時にばっと帯状疱疹が出る、ということはよく知られたことです。私も一度学生のとき左脇腹あたりに帯状疱疹が出てかなりの期間痛かった記憶があります。動くと激痛みたいな、神経痛様の痛みですね。ただいつ起こるかといってもわかるものではなく、今までももっと疲れて抵抗力がなくなって、ということは山ほどあったのになんで、という感じでしょうか。では経過をみていきましょう。少し長くなりましたのでまた次回に!!

2017-09-19 17:13:00

「続開院までの道のり  パート9」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて、開院までの道のり、シリーズですが、20年以上前のことを思い出そうとするのもけっこう大変です。今までは1年目のフレッシュ時代(いわゆるウンテン)のことを書いてますが、印象に強く残っていることを少々脚色してコラムにしてきました。実際そのころのことをイメージすると、いろんなできごとやいろんな人が思い浮かびます、がどれも断片的でどうつながるだろう・・・などと考え込んでしまいます。前にも触れたように小牧市民病院への赴任が1年目の10月からで実際は2年ちょっと小牧にいたわけですがその後帰局し、なんと晴れてミッテンとしてフレッシュの指導にも当たるという立場になるわけです。そのミッテンの時代とウンテンの時代とのことがどっちだったか?とわからなくなることがあるのです。コラムとしては、何もできないフレッシュマンの方がおもしろく失敗談として書きやすいのですが、「道のり」なので少しは進んでいかないといけません。

ちなみにですが、このコラムを全く面識のない東京の同業者が読み、その知り合いの以前名古屋にいた関東在住の先生に「この人(私です)知ってる?」と知らせたそうです。その先生は初めてこのコラムを読んでみたそうであまりに面白くてこの前の学会で会い、ブログ見たよーと感想を言ってました。(口腔外科学会総会学術大会参加レポート参照)。たまたまご覧になる方も各地にみえるということで、驚いている次第です。
前置きがいつも長く申し訳ありません。でも今回は何を書こうかまだ決めてないので考えながら進行します。

前にも書いた通り私たちフレッシュはなにもできないバカ者でした。先生方からはおいフレッシュ、ほらフレッシュ、なにしとるんだ!といつも叱責され情けなくなることもあります。でも本当にできないし知らないのだから仕方ありません。いろんな事を経験し勉強しなければいけません。早く一人前になりたいと思っていました。

「続開院までの道のり  パート9」

例えばある時、当時の研究グループで有病者グループというのがありまして、伊藤正夫助手(現開業)がグループ長でしたが、早朝診療1時間ほど前から週何回かフレッシュのために有病者の「勉強会」を開いていただきました。確か強制ではなかったようでしたが、なんも知らない、何を勉強していいかわからないような「ひよっこ」にとっては当然出ろよと医局長から言われていた気がします。ただ朝早いのと内容が有病者についての難解な論文?かなんかを読む抄読会のようだったでしょうか。次第に来ないやつがいたり、朝早いので居眠りしたりと、とんでもないやつらです。せっかくわざわざ伊藤助手が私たちのためを思って開いて下さった勉強会なのに、私たちフレッシュはバカ者です。でも伊藤助手は出席者が少なくても涼しい穏やかな感じでいつもやってくれました、なんと優しい先生なんでしょう。と思っていたのですがもともと伊藤先生はめちゃくちゃ厳しくて怖くてグループのメンバーが研究の成果をあげられないと医局で他の先生方もみえる中大声で怒鳴って叱責するような方だったそうです。それが当時の江幡医局長の前に医局長をやられた時、あまりの激務のせいで人が変わってしまったのだよ、あぽーって、とどなたかに教えてもらいました 。

また例えば、ある入院中の舌カルチの患者さんの担当のウンテンである私はある時、舌の潰瘍部分に当たる歯を削ってしまって全く当たらないようにする、という処置をやるように言われ、外来に患者さんを連れてきました。そして、当然抜髄処置をするわけです、根管治療ですね。たしか下顎6番か7番だったか、ただろくに歯の治療など特に抜髄などしたことないわけです。学生時代の後期はインストラクターに見てもらいながら担当の患者さんを受け持ち根管治療どんだけ、インレー形成どんだけ抜歯どんだけ、などと臨床実習はやってきてはいますが、いきなり最初から抜髄!!はきついですぞ。オーベンの林先生は、いいから大丈夫だ、みたいなやってみい、みたいな雰囲気を醸し出してますので。ええい、やったれ、みたいな感じで始めた記憶があります。麻酔はしますね、削れますね、ふんふん、歯髄腔までバーを穿通させ広げて、と。今でこそ偉そうに根治してますが、びびって震えながら。ん?歯髄は生きてますから血は出ますね、もうちょっと広げて根管口を明示するかと、ん、まだかな、根管口はどこかな、と思い切って削っていきます。と少しバーがズボッといって出血がけっこうばーーーっとありました。

「続開院までの道のり  パート9」

こ、こここれは!?しまったあ、パフォたかーー(パフォる、というのはパーフォレーション、すなわち根管外に穴をあけてしまうこと)この時髄床底といって根の分岐部を通じて歯槽骨側に穴をあけてしまったのだと真っ青になってしまい、林先生にこれは助けを求めるしかないと林先生を呼び、「先生、パフォってまいましたっ、くぅぅぅ〜」 と林助手は、またもクールに、ちぇっ、っといいながら険しい表情でその歯をみますと、ばかにしたように、なんだパフォっとらんぞ、大丈夫だと。「パフォってないですか??ほんとですかっ林先生!!」とほっとしつつも、じゃありゃなんだと、冷静にみますと、まだ全然、髄腔に達したぐらいでそれが歯髄だとわかりました次第です。林先生からは、もっと広げてその歯髄を除去するんや、と。ほんとフレッシュは大バカ者です。

 

さてそんな大バカ者フレッシュ軍団も「はあーー」と医局に帰ってくると出迎えてくれる方たちがいます。先生、先生とバカ者たちを勘違いさせてくれる人たち、それがプロパーと呼ばれていた各製薬会社の人でした。プロパーは朝、昼、夕方と医局に出現しずらりと10人以上いたかなー。当時はホントにいい時代でした。今はとてもそんなことはないようですが、バブル全盛期、どこの診療科でもプロパーは暗躍していました。なんでも相談に乗ってくれ、特にこれこれの論文探してと言えばすぐコピーし持って来てくれましたし、パシリとしてなんでも頼めばやってくれる、なんでも持って来てくれるいわゆるなんでも屋さんなのでした。医局会である薬の説明会があるとなると高級弁当が用意されたし、なんかの勉強会といえばなんでも用意してくれました。もちろん手伝ってくれたプロパーの会社の薬を優先して使わなければいけないわけでそのために各プロパーも必死です。やはりそういった資金が豊富な大手はいろんな策を使うのです。先生先生と持ち上げてくるのでどうしてもフレッシュのバカ者もいい気になってしまいます。記憶にあるのはS社のフル○○○、T社のパン○○○○、をよく出してました。フレッシュのバカ者にもすりよってくるのは、病棟で出す抗生剤の点滴は、言ってみれば手術後の感染予防が主で、なんでもよかったわけでその抗生剤を病棟の指示書に書くのは私たちウンテンでした。今週はフルマリン週間、とかいってこの人も、この人もじゃフルマリン、用意されていた抗生剤点滴がほとんどフルマリンだったり(汗)  S社の大谷さんは私たちフレッシュバカ者集団を超高級和食肉屋に連れていってくれたり、飲み屋に連れて行ったりしてもてなしてくれましたので当然です。ある時、病棟で宇佐美助手(現名古屋医療センター)が、おい君、なんかフルマリンばっかりやな、と疑問を投げかけてきました時には少しドキッとしましたが、そ、そうですかね・・・としらを切ったり・・・。パンスポリン注射も好きな薬でしたね。T社の藤沢さんにはいろいろと大変お世話になりました。退院後外来でまた抗生剤内服を出す時はパンスポリンTを処方し、ゴールデン処方と呼んでおりました。「先生、今週は名大パンスポリンT 〜千錠でした、先生の集中ゴールデンのおかげです!」そんなわけないでしょ、でもいい気分にしてくれるのです。ほんとバカ者ですね><  信じられないほどたくさん錦に連れていってもらいましたし、面白い事がたくさんありました。ここでは夜の課外活動は書ける場所ではないので割愛しますが、いずれ書いてしまうかもしれません。 今回は以上です。なんかちょっと道がはずれてきましたか?いえいえそんなことはありません。バカ者も一人前になるために一生懸命です。

2016-12-16 13:53:26

「第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

さて、2016年も残り少なくなってきました。
毎年口腔外科学会総会が秋に開催されます。だいたい10月に行われるのが普通ですが、今年は少し遅めの11月末でした。11月25日(金)~27日(日)まで3日間行ってきました。最近は関東地区で行われる場合はたいてい千葉の幕張メッセです。25日金曜日早朝名古屋を出てなんとか9時半前には到着です。東京は1年ぶりくらいかーーー、富士山は雲一つなくきれいに見え、雪もかぶっていました。

 

学会会場はすでに多くの人があふれ各会場に様々なシンポジウム、講演、口演発表、ポスター発表、レクチャー、が用意されています。去年は参加人数が初の4000人超えといわれていたので今年もおそらくそれに近い人数と思われます。私はこの学会の専門医ですのでその更新のために総会にはまず必ず出席しなければなりません。あと各種レクチャーを受講し所定の単位を得なければいけません。
今年は3つのミニレクチャーを受講しました。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート
第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

まあ面白そうな題材を選択しますが、うーーん、今いちっていうのも正直あります。今回はまあまあためになりました。各会場にいろいろな講演があるので抄録集をみながら興味ありそうなところへ移動します。まあ疲れます。どこに行こうが、ホールで旧友としゃべろうが、出て行って観光しようが自由なので何を目的に学会に来るのか難しい問題です。発表や論文執筆が半ば義務づけられている大学在籍人以外は、まず点数稼ぎ、という面があるのは否定できません。実際自分に合った内容は多くないので、それを見たらもうロビー活動が主になりますね。ただ1年に1回、いや何年に1回しか会えない先生方にお会いできる機会なのでそれはそれで非常に大切な事なのですが。昼はランチョンセミナーがいくつか用意されていて、たいていの人はそれに行きます。弁当つきなので食べながら聴けるのです、(聴かないかもしれません)。昼食もそれで済ませられるのですから。食べるだけの人もいます。
細かく書くと際限がないので大雑把にいきます。写真はあまり撮る機会はなくいい場面はないのですが思いついた時に撮りました。勝手に人物を撮るのは問題なので風景として撮ります。

 

幕張メッセは海に面しています。夕日はこのうえなくきれいでした。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

ホテルからは天気がよかったので富士山も見えました、舞浜の遊園地や対岸のスカイツリーも見えました。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

 

さて久しぶりに会った関東の病院にいる先生に、最近のブログ見ましたよ、笑ったわー、あれすごいわ、やばくないですか、と感想をいわれて(続恐怖のオペ・・・)で盛りあがり、説明させられました。(けっこうみとるな)(ブログじゃないし)(コラムだろ)いろいろ思いながら、また楽しみにしてますよーみたいな感じで言われてしまいました。まあ一般の他職種の方例えば車屋さんとかからも感想を言われます。続きを早く書けだの、執筆の締め切りに追われる気分に少しなります。
その続きはありますのでまた書きます。こんな学会の珍報告ではだめなんですねきっと。

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

土曜日はミニレクチャーのない時間帯にはポスターセッションをやっているどでかいホールに行ったりし時間をつぶしまたどこかの会場に入って出てを繰り返し、夕方どでかいホールの端で新潟の日本酒試飲会をやっていましたので人がたくさん集まってきていました。何十もの銘柄が味見し放題みたいな。ポスターもまだ発表してましたが年配の偉い先生の皆さん中心にけっこう飲んでました。私もちょっと飲みました、つまみも置いてありましたので。けっこうおいしかったですよ。だいぶ周りも騒がしかったのは新潟の観光大使?という女性が酒をついでましたので、オヤジどもが話しかけたり握手したり、写真撮ったりと、何しにきてんねん・・・。で私の尊敬する先輩である現在埼玉にいる野村先生も写真撮れと言われまして、私のスマホで写真を撮って先生にラインで送りました(なんでやねん・・・)。

 

第61回 日本口腔外科学会総会・学術大会 参加レポート

ちなみに大学の先輩である野村先生は、口腔外科の助手をやった後アメリカに留学しその後医学部に入り直し耳鼻科の医者になりダブルライセンスを取られた貴重な先生です。口腔外科をやるためにダブルとなられたという点で素晴らしいのです。
またちなみにクリーブランドの大学病院口腔外科に留学されてた時私を呼んでくれまして、先生の家に泊めてくれて病院の見学もできたしオペ室にも入らせて担当教授のオペも見学できました。貴重な体験をさせていただきました。
話はだいぶそれました。この日の夕日もきれいで写真ではあまりはっきりしませんが水平線の上にきれいな光線がさしています。

 

夜は後輩と飲みにいきまして、さすがにダウンした次第です。
日曜はまたまたさすがに足が重く11時ころぼーーと徘徊し、ランチョンだけはしっかり参加し午後すぐ会場をあとにしたのです。
このように最新のトピックスに触れられる大変有意義な?学会でした。毎年数々の学会がありますが、分化会や地方会にはたまに行けてもなかなか開業医としては時間がとれず診療を休んででも行くというのは1年に1回と決めています。毎年この時期に週末休診になりますのでご理解いただきたいと思います。
来年は京都です。またすぐにその時期になります。

2016-12-06 15:46:41

「続恐怖のオペ!! ~続開院までの道のり パート8」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

21期同窓会

さて、久々の「恐怖シリーズ」復活です。実に4年以上ぶり、続新コラムといいましょうか、開院までの道のり、パート?ん、恐怖の…が7ですから「続開院までの道のり パート8」としましょう。もともと断片的な記憶をつなげておもしろおかしくして書いていますので「真実」とは言えません。
もし前回までの「道のり」をごらんになりたければバックナンバーをお読み下さい。実はこの原稿、なんと4年以上前に書いてパソコンに保存していました。最後まで書くのが面倒になり途中やりで放置していたわけです、と言いたいところですが内容が書きにくい出来事だったし衝撃的だったので筆が進まなかったということもあります。ただお蔵入りにするのもなんだし、いまだに「続編はまだか」と言うお声をいただいていることもあり完成させることにしました。その年月がたっていることを想像してお読み下さい。

今年(2011年)もあとわずか、月並みですが早いものです。当クリニックができてもう7年が経過しました。日々悩みの連続です。口腔外科の門を叩いて20年、当時の悩みとは別物ですがいつまでたっても自分に満足することなどありません。時代は変わり5年もたてば新しい治療法、考え方また新しい器械が登場します。自分の根本的なベースを信じ、常に時代の流れをよく見極めなるべく良いものを取り入れていきたいと思っています。
さて20年前にまた戻りましょう。前回のコラムでも触れたように、金田教授の手術はとにかく恐怖の時間でした。もちろん教授の担当でもご自分で全てを執刀されるわけではありません。ですのでわれわれフレッシュマンであるウンテンは、教授のオペに入れるだけでも本当はラッキーなのです。しかし当時はあまりそう思えませんでした。カルチノーマのオペ、以前書きました頸部郭清術などに入るとなればやはり緊張と憂鬱とがありましたが、それと似た恐怖のようなものを感じていました。しかし今回の恐怖の出来事は、先程の恐怖とはちょっと違うものです。間違いなく一生に一度の経験、他の誰でもめったに経験できないようなことです。これについてコラムでご紹介するかどうか悩みました。患者さんの名誉、執刀医の名誉等色々と考え、患者さんが特定されることはないでしょう、執刀医は当時の最高指導者であります、手術は大変難しいものでありました、20年以上が経過しています、これらは間違いのないものです。時効ということも言えますし本当にこんなこともあるんだと衝撃を受けたので記すことにしました。
さて前置きが長くなってしまいました。患者さんは舌のカルチノーマで頸部リンパ節転移の明らかな方です。手術を繰り返しているため頸部の瘢痕が著明でした。舌下神経のダメージもあり舌も動かず気管切開も既にしてありました。手術は反対側の転移したリンパ節郭清だったように思います。この方はご家族含め色々な問題があり、詳細は省きますが、担当医も特別気を使わなくてはいけませんでした。
細かい事は忘れました、何を目的にした手術だったのか、なんで手術をしたんでしょうね??手術側も瘢痕でカチカチ、おそらく頸部廓清をされた後だったのでしょうか、以前に全頸部廓清をやっていたら手術やることはないはずですから。部分廓清である上頸部廓清後だったのかもしれません。

さあそんなことはいいです、手術は全身麻酔後、金田教授、林助手(現第二日赤口腔外科部長)、私、と所定の位置につき(もしかしてもう一人いたかも?いたとしたら青木先生かな、記憶にない、すいません青木医員)私はただ教授が頸部を切って廓清していくのをど緊張しながら、泣きそうになりながら見守り、筋鈎をひき、そこの組織は全くなにがなんだかわからない部位をすすんでいきました。硬い瘢痕を切り開く感じで教授もやりにくそうでした。ただ結構大胆に大きなクーパー(はさみです)でガシガシ切っておられたようでした。
解剖学的には、だいたいその辺りに何々筋、何々神経というのがあるはずなんだが、という感じで見ていました、そこでふと林先生を見るとなんと、あのクールな林助手が、どんなことが起きても動じない林助手が、なんと泣きそうな顔で目が血走り、切り開かれていく頸部を「あーー、あっ、あっ、先生、あ~~~あ」と声にならない声でつぶやいておられるではないか!!んーこれはどんな感じか、いかん感じか!?術者は教授ですぞ、林せんせー!!と思うが先か後か、なんと!どーーーーーんと血が天井に届いて吹き上がりました!!天井どころか周囲にすごい勢いで出血です、教授の顔にも血が飛び散りメガネも血で見えなくなっていました。林先生も私も大慌てで押さえました、これは、これは!もしや、Carotis Communis (総頸動脈)かあー、林先生も「カロティスいったな、あまり押さえすぎるな、やべー」やべーと言ったかは覚えありませんが、そんな感じでした。と同時に血圧が一気にどーーーんと下がり(当然です)確か記憶では高めだった血圧が、40/20 ぐらいになったような、ほぼショック状態、麻酔医も大慌て、当日麻酔研修中だった新美医員(現中日病院部長)が大声で「木村先生呼んでえーーー血圧が、下がったーうーんと下がった!!」とインストラクターの麻酔科医を呼ぶ声ははっきり今でも覚えています。林先生はさすがにあせって止血を試みますが周囲組織は不明瞭でどこが出血点かわかりません。
破れた血管を探して縫わないと・・・どうしたら。と教授はなんと落ち着き払っているでは!?「ちょっときみいーー、メガネ拭いてくんない?」と介助ナースに。おーーーすごい教授!!さすが全く動じません。「林くーん、早く止めてよ」と。おーーーーーすごい!林先生を超超信頼しているのですね ><私たちはもう泣きそうになりながら止血を試みました。その時林先生が私だけに聞こえるように言った言葉は今でも決して忘れません。「おー、死んでまうぞ」と押さえながら…
それからは記憶があまりなくなっていまして、あまりにショックでか?少しずつ縫って縫って止血し、麻酔の先生も救急処置をされて血は止まった!!ことは確かです。
その後どんな手術をしたのか、何時間かかったかも定かではなく、でももちなおしてよかった!!と。あとは林先生もぐったり、どうなることかと思いましたね。その後のこともほとんど覚えていません、教授とのやりとりも、どうしてカロティスが傷ついたのかも、あまりに衝撃的で貴重な体験でしたのでもうどうでもよくなったのでしょうか。ただあの大出血が起きた時前後のことだけ記憶がはっきりしていたので書きました。
頸部の大血管から大出血する瞬間に立ち会う事などまずありえません。本当にすごい経験でした。本来はこのようにおもしろくおかしく書くことはだめです。これだけははっきりしています。単にフレッシュの時代にこんなことがありました、というだけです。道は続きます。

2016-08-17 11:19:00

「第21期生同窓会」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

  21期同窓会
二次会にて

 

さて久々の投稿です。
2016年も半分が過ぎ、暑い日が続きます。そんな中7月、母校である新潟大学の第21期生同窓会があり新潟へ一泊で行ってまいりました。友人、先輩は学会等でたびたび会う機会もありますが同級生全員が集まるというのは初めてということもあり楽しみにしていました。
当時は1学年80名で、同期卒業生は何名か忘れましたが、大部分は私も含め県外、自分の地元へ帰り生活しており、当日集まったのは約半数でありました。 顔を合わせたのは本当に久々、25年ぶりという人たちがたくさんいました。懐かしいの一言です。みんな元気でやっていました。卒業以来初めて会う人たちの記憶は外見も含めそこで止まっています。意外にほとんど変わっていない人、だいぶ変貌を遂げた人様々、無理もありません、卒業以来、ほとんどの人は卒業時の年齢分歯科の世界で頑張っているわけですから。元気で若いと思っても皆50歳を超えてきました。

今回来られなかった人の中には元気でない人も病気で体調が悪い人もいたでしょう。
もちろん若くして亡くなられた方も数名みえますので、残念ながら学生時代のように今後全員が顔を合わせることができないのです。それは非常にさびしく思います。

会は、夕方市内の料亭で行われ同じ歯科医として違う立場の世界について色々情報交換でき、ただ懐かしいというだけでなく有意義な会でありました。酔っぱらって騒いで学生時代を思い出し、当時と何も変わっていないような感じになりました。二次会もありましたが、やはり時間や場所も限定されある人とは話足りないということもありました。それぞれができる限りの交流を深めた一夜でした。
はめをはずした人たちもいましたが、私はそんなこともなく仲良しな人たちとさらに飲み、店を出たら3時でした。あー起きれるかな、宿泊先の日航ホテルに帰りzzz、昼過ぎ少し買い物、挨拶まわりをし飛行機に飛び乗り帰ってきました。

2016-08-15 16:12:00

「デンタルショー」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久


2月22日、毎年この時期に行われる中部日本デンタルショーに行ってきました。

開院からずっと携わってくれている業者のH氏、毎回めぼしいものを案内してくれます。三時までに来てくれないともういないですよ、なんて言われていたので雨もようの感じなのもあり早めに12時ころ吹上ホールに着きました。その前から電話してるのですが、出ません。ん、つながらない、メールも何度もしました、返事ありません。なんだ、忙しいかな、もう入るか…。入場し登録してしまいました。

すごいたくさんの人、人、そりゃそうか、どこから見るか、見たい物を探すのも一苦労です。H氏どこや~。まだ返事ない。自分で見るしかないか、と方々歩いてよさげなところに入り試します。

とことこ歩いてそこあそこに知り合いが、しばし談笑、また移動、おーーー、前うちにいた衛生士ども!またしばし談笑、頑張ってんのか…どうせまたそのうちやめるんだろ、まだか…。

今度は以前病院で一緒に働いた関東在住のフリーの衛生士、あるメーカーの商品紹介でそのブースでしゃべるらしい。もう全国を渡り歩いて講演やら、講習をやったりしてるらしい、すごいな、有名人やーー。当時20年も前は何にもしないただの酔っぱらいだったのに…。しばし話し込み、刺激を受けます。まあこんなもんかなーともう3時前、もう行かないと、ちょっと興味をひいたものはこんな感じです。一部カタログも。

さて会場をあとにし車で走り去るも、H氏から電話、遅くなりました、って何してんの、もう出たわ、んん何、豊田で急遽器械の取り付け、だと~、なんじゃそりゃー、って感じのデンタルショーでした。

2015-03-17 12:35:00

「処置後の偶発症」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

こちらはデンタルクリニック、しかも口腔外科専門を掲げるクリニック、毎日親知らずの抜歯を行います。もう20年以上やり続けています。ちょっとやそっとじゃ驚いたりしません。横向きの親知らずでも数分で抜けるものもあれば、たまに1時間もかかることも。歯が深い位置にあったり、根が曲がっていたり、下顎管に引っかかっていたり誰がやっても大変なものは大変。まあ抜歯自体は自分で言うのもなんですが、うまいしきれいにスマートにやってます。まあ当然ですが、修羅場をくぐり抜けてきてますから。

さて本題です、最近のできごと。抜歯後、または抜歯中気分が悪くなったりすることはもちろんたまにあります。たいていは緊張、恐怖による精神的なもので、終わったあとチェアを起こし座位になった時、立とうとした時に脳貧血発作を起こし気分が悪くなるのです。今回驚いたことは、1週間たたないうちに立て続けに同じようなcaseを経験したのです。

まず1月末、60歳台女性、局所麻酔し処置後立ち上がり待合室に行かれ、すぐ気分が悪くなったとの訴えで、チェアに逆戻り、顔色は真っ青、脳貧血によるものと判断しチェアを倒し頭を下げつつ、手首を持ち脈をみます。嘔気を訴え、吐きそうな感じですので、嘔吐物が気道を塞ぐのを防ぐために横を向かせ膿ボンを当てます。血圧計を巻き連続測定、80/40か、低めですね。血圧は普段130-140/70、間もなく嘔吐も収まり血圧も上がってきました。深呼吸をさせ改善しました。

その約1週間後、20歳台女性、局所麻酔後親知らず抜歯しチェアを戻し起こしたら間もなく気分不快の訴え、やはり貧血の疑い、チェアを再び倒そうとすると、ややパニック気味、どうしよう!どうしよう!とばたつき呼吸が早くなってきました。過換気気味です、こちらも嘔吐をするようなそぶり、脈をはかりつつ頭を下げ、横を向かせゆっくり深呼吸を促します。血圧を連続測定、80/30、もともと血圧は低めとのこと、呼吸は落ち着いてきています、深呼吸を促します。嘔吐は落ち着いてきましたが血圧はやはり同じような値、ここでもうルート確保しました。ベース液を点滴し経過をみます。間もなく血圧も100/60前後に。過緊張のせいもあり脱水気味でした。血管から水分が補給され改善に至りました。

こういう不測の事態は今後も起こりえます。注意する事はこちらサイドが慌てず容態をよく観察すること、しかしすぐさまバイタルサインの確認をしつつ話しかけながら患者さんを安心させつつ気道を確保すること、口腔の処置をしているわけだから、唾液や血液のかたまり、ガーゼなどに注意をする、血圧計を装着し静脈路確保まではすぐできるはずです。その後、より状態が悪化するようなことがあっても側管から薬剤を入れられます。また内科医をコールしたり、救急車を要請したりという必要があればすぐさま対応しないといけません。その判断を迅速に行う必要があります。常にそのシュミレーションをしています。

2015-02-23 12:34:00

「新年あいさつ」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて、当クリニックも2015年を無事迎え9年が経過致しました。早いもので10年目に突入です。「院長のコラム」とかいうコーナーでたまに原稿をアップしていましたが、無類の筆無精を自負する私はなかなか新しいネタ(といっても、卒後すぐの昔の話ですけど)を皆さんにお知らせすることができず、ずるずると時間ばかり過ぎる始末です。見てくれている方が多少なりともいらっしゃるのに申し訳ない気持ちでしたがいかんせん、日常に忙殺され手が回らないといった言い訳をしてしまいます。そこでこのほとんど動かないコーナーを、なんと「院長のつぶやき」と一新しあまり気負わない内容、気軽な長さでも更新してしまう、というものに変えようかと思います。SNSもほとんどしない私は、文章をアップするとか投稿するとかが苦手な性格のため、他の人からコメントを受け取っても気の利いたやり取りが下手でして、この「つぶやき」で起こった出来事や気持ちを多少なりともお届けできればと思っております。ぜひご一読ください。

2015-01-20 12:33:00

「恐怖の…」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて 恐怖の… と題しました久々のコラムです。多忙というよりは、書く気といいますか、やる気の問題でかなり長い間さぼってしまいました。院長のブログ?を楽しみにされていた方々ほんとにごめんなさい。でも久しぶりに会って「早くブログ更新しろやー」とすごむのはやめてください。しかもブログではなく、ただのコラムですから…。今回はリニューアルを記念しましてなんとか更新します。
前回のコラムから2年もたってしまいました。なぜか?忘れてしまってたんでしょうか。なんとか頑張ります。

そういえば、小牧市民への赴任が決まって呆然としていた、というお話でした。それとは関係ないのですが、私たちウンテンは担当患者さんの手術があれば準備して手術に入るわけですが、金田教授(現名誉教授)の患者さんの場合は特別です。第一助手をオーベンが務めるのです。医員は第二助手を務めるわけですが、ミッテンが入れば私たちフレッシュのウンテンは入らないことになります。やはり手術の間、教授は特に厳しく、私たちは異常に緊張していました。機嫌を損ねれば怒られ、「なーにをやってるんだよー、きみわあー」と手をぺしっとはたかれます。教授が機嫌よくスムーズに手術を終えるように無難にこなすことがいかに大切かが日を追うごとにわかってきました。教授にも好き嫌いがあるらしく、手術中もたもたしているともう覚えられて、以後厳しさが増すとか…。ミッテンの青木先生(現開業)は特に教授には相性が悪くいつも怒られていたようでした。「だーめだよーあおきくんーもおいいよお~ぺしっ」 とか、こんな具合でしょうか、すいません青木先生。とにかく教授のオペは生きた心地がしません。あの林先生(現第二日赤口腔外科部長)でさえ、「あー教授のオペかー緊張するがや、こーわーいでなあ。」手に汗をかくくらいだとお聞きした事もあります。

ある日は私が第二助手を務めていた時、小さいメガネの上から上目づかいで「やまだくーん、はい、縫ってみてー」は、はあ~??ぼぼくですかー??そんなこと言われましても++ ぼぼく鈎ひいていますので、と心の叫び。オーベンを見ると、目を細め、はよやれ、ばかっの合図、ぶるぶるしながら糸を持ち、縫った?のか縛った?のかどうなんでしょう、きみねー、こうこうこうやるんだよー、そうするとうまくいくだろー、となんとご指導いただき無難に終わったようでした。そんなことが何回かあり、おまえは教授に気に入られとるぞおーなどとからかわれたりしたものでした。教授は体育会系のやつにはやさしいってのはあるよなー、なーんて先生方が話しておられることもありましたが、そんな単純なことですか?なんともひやひやの連続で教授のオペはとにかく怖いってことをからだの芯に植え付けられた毎日でした。

次回はまた書きます。続、恐怖の…です。

2011-10-20 12:31:00

「続、新コラム 続開院までの道のり パート6」

歯科口腔外科勝川オーラルクリニック
院長 山田 健久

さて7月も半ばすぎもう夏休みですね。ちょうど18年前の夏は、6月より病棟研修が始まり1か月が過ぎいろんなことを学ばせていただきました。でもたかが1ヶ月や2ヶ月です。将来の方向性など全く見えてはいなかったはずです。それでも私は歯科の中でも特殊な口腔外科を専攻し臨床のスペシャリストになりたいと思うようになってきたと思います。当時は現在とは違い、1年目から大学院として入局するか、付属病院の医員の枠に入って入局するかの選択でした。

入局前は金田教授(現名誉教授)は、研究をすることを主に、臨床に携わることを勧められました。しかし早く臨床を覚えたかった私は悩んだ末大学院には行かず、医員として入局したわけです。当時、学位の必要性を感じていなかったこともありますが、腫瘍グループに属している以上結局は研究を避けるわけにはいかず、論文博士の学位取得に向け実験を始めることになるわけですが、そのことは後日またお話することになるでしょう。

さて私の同期13人のうち大学院性は4人、将来の医局を背負うと期待?の人たちは、結局学位を取ると次々と開業し医局にはあまり貢献しなっかたといえるかもしれません。皮肉なものです。残りの9人のうち、私を含めた3人が6月より第一陣として病棟に送り込まれたわけです。以前のコラムでも登場しました、劉先生こと留置針、平松(現?)と伊藤やすと(現開業)です。

忘れもしません。夏のある日、江幡医局長(現開業)から呼び出されました。何かと思い神妙な(何か悪いことでもしでかしましたか)ってな面持ちで医局長室に入ると、「君いー、10月から小牧市民病院行ってくれんか」と…。ななんでですかっ?私がもう赴任ですか??第一号ですか…考えといてくれ、とは言われますが、事実上拒否はできず決定なわけですわな、困りました。せっかく大学に残り、在局生活を謳歌し同期の奴ら、先輩方とようやく慣れ親しみこれから、という時に巌流島に島流しにされるようなものでは?一応研修医として行くわけですが、病棟研修を何か月かやっているしっかりしたフレッシュという先方の希望、ということでした。えっそれがおれか…平松でもええんちゃうの、くそ平松のやろー、立候補せんかいな、…時すでに遅し、私は少々病棟でがんばりすぎたようでした。もちろん優秀とは思いませんが江幡医局長いわく、伊藤君はにやにやしているだけだし、平松ではちょっと先方の希望には合わないし…はー10月1日付の異動です。きっと余命1か月ちょっと、死を宣告されたも同然、残りの医局生活を意義あるものに悔いのないように生きるってな具合でしたね。

しばらく何日は呆然と、がっくりとしていたような気がします。小牧へ行ったらもう医局にはなかなか寄り付けません。ほんとに孤島に行くようなイメージでした。上には常勤の先生が二人、3人でやっていくわけです。それを考えると気が重いのです。藤内講師(横浜市立大教授)は、まあええやん、勉強なるよ、角君(現長寿医療センター歯科部長)しっかり教えてくれるし、2年やってすぐ帰ってくるわけやし、となぐさめて?くれました。まあそりゃ平松ではいかんしなあ、(平松君ごめんね)しゃあないわ、とある先生方。その赴任に向けたカウントダウンが始まったわけです。

以上

2009-07-21 12:30:00

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